ー初めまして。本日はインタビューにご協力いただきありがとうございます!
早速ですが、Hさんについて趣味や経歴などを教えてください!
学部時代は吹奏楽部に所属していました。中高と卓球やテニスをやっていて、一対一だと途中メンタル的につらい時があり、大学に入ったら団体で、みんなで何かをつくり出すことのできる部活に入りたいと思っていたため、吹奏楽部に入りました。楽器はフルートをやっていました。吹奏楽部といっても私の部活はマーチングだったので思っていたよりも体育会系でした。
バイトはプログラミング教室で働いています。小学生に向けてブロックプログラミングを教えています。指示ブロックを組み合わせて、動くロボットに指示を出す形でプログラミングをわかりやすく教えています。このバイトはもう2年くらい続けています。自分でどう教えたらもっとわかりやすく伝わったかなどを考えながら教えてみて、実際に自分が教えた子が「できた!」と喜んでいる姿を見ることがやりがいです!
経歴は公立の中学を卒業後、工業高校に入学し、その後今の大学に進学しました。工業高校だったので、入った時点で専攻が決まりました。高校で機械工学の専攻になったのは、お恥ずかしながら第3希望にギリギリ引っかかった形でした。高校入学の当時は、ちょうど福島原発の問題がクローズアップされていた時で、その影響で情報系の希望者が多かったです。そのため、本当は情報系に進みたかったのですが機械工学専攻になりました(笑)。高校3年間機械工学を学んだ後、大卒コースに進み2年学び、その後2年学び短大卒になりました。7年間機械工学について学んだ後、院に進学し2年間情報系を学びました。
ーそんな学校があるんですね!初めて知りました!学部から院に上がる際、専攻を変えていますが、今の専攻に進んだ理由は何ですか?
学部は機械工学で、そこから院進学する際に情報系に移りました。もともと情報系に進みたかったことに加え、学部から院に進学する時AIに興味を持ったからです。私はいわゆるミーハーな部分があり、院進学を考えていた当時、世間ではAIについて騒がれていていました。AIについて耳にすることが多くなり、興味を持つようになりました。
また、人の命に係わる、わかりやすく人の役に立つ研究がしたいという思いがあり、医療方面で情報系の研究室を探して今の研究室に辿り着きました。
実際に情報系に進んでみて、今まで情報系だった人に追い付かなければいけないので、プログラミングなどは苦労をしました。周りに頼りながらなんとかやっているという感じです(笑)。
ー確かに2、3年前は、AIが人の職を奪うというニュースが多かったですね。医療系に興味を持ったきっかけはありますか?
始めは、研究をするのなら人の役に立てるものがいいなという気持ちが漠然とありました。人の役に立つといっても色々な方面がある中、医療系を選んだのはわかりやすいからです。わかりやすく人の役に立っているというやりがいを感じられるので医療方面の研究をしようと決めました。
ーなるほど、そうだったのですね。
では、就活についてお話を聞いていきたいのですが、就活はどのような流れでしたか?
就活を始めたのは院1年の10月頃で、色んな企業の説明会に参加することから始めました。インターンは、冬の1dayのインターンに2、3社、泊まり込みの2daysのインターンに1社参加しました。説明会を受けて受けたい企業を絞っていきました。3、4月頃から本選考を受け始めました。TECH OFFERを通じて内定先からオファーをいただいたのもこの頃です。最終的に内定をもらったのは5月末です。
ー業界はどこをみていましたか?
業界はそんなに絞って受けませんでした。どちらかと言うと、雰囲気や人柄をベースに企業を絞っていました。初めはのうちは、機械工学の際にCADとかシミュレーションを使ってたので、そのようなミュレーションシステムをつくっている企業や販売している企業をみていました。しかし、そのような企業の話を聞きに行っても人が魅力的に見えず、志望度は上がりませんでした。
CADやシミュレーションを扱っている企業はそれ専門の企業が多く、狭く深い企業がほとんどです。CADやシミュレーションで人の役に立ちたいと考えても、ニッチ過ぎて興味があまりわかなかったこともその企業が魅力的に見えなかった要因だと思います。
大手クラスになるとシミュレーションシステムが1つの分野として存在するので、大手入ってその部門に配属された方が、やることは変わらず、待遇が良いのではないかと考えました。それからは、業界は絞らずに、大手の化学メーカーや先輩が就職した関西の大手化学重工メーカーなどをみていました。3、4月は化学メーカーや化学重工系の企業に加え、関西の大手の企業を受けました。
ー関西の企業はどのようなところを受けていましたか?
関西の企業は化学や重工系に絞らず、機械メーカーなどの大手を受けていました。就活を進めるにあたって、関西で生活をしたいという軸も追加されたため、関西の企業を受けることに決めました。
自分が今関西に住んでいて、親に心配をかけてたくないという思いから関西の企業を探していきました。探してみると、シミュレーションができる企業や、医療関係の画像を撮影できる機器をつくっている企業など自分と相性のいい企業を見つけることができたので、関西の企業まで広げてみた選択は自分にとってとてもよかったと思います。
ー実際に3月からはどのくらい企業を受けましたか?
本選のエントリーは12社ほどしました。最終的に5月に内定先企業から内定をいただきました。その前に4月には内定先企業とは別にもう1社、メーカーから内定をいただきました。
ー業界の話の際に、人が魅力的に見えなかったとおっしゃっていましたが、逆にどんな時に魅力的にみえましたか?
全然企業の例になってしまうのですが、説明会などで学生目線に立って話してくれる社員の方にとても惹かれました。秋の説明会で出会った大手企業の人事の方だったのですが、こちらが本当に知りたい年収のグラフなどを公には言えないけれど教えてくれたり、「こんな人もいると思うから」と自分が学生だったらと想定してお話をされている姿を見てとても素敵に思いました。その時に、人に惹かれるってこういうことなんだと気付きました。そしてその瞬間にその企業が第一希望の企業になったと思います。
ー素敵な出会いだったのですね。結果第一希望だった企業とはご縁がなかった形になりましたが、振り返ってみて後悔や失敗談などはありますか?
私は結構早い段階で第一希望の企業を受けたのですが、その企業の最終面接でやらかしてしまいました。私は所属する研究室を材料系の研究室から流体系の研究室に一度変えているのですが、そのことについて理由を聞かれた際に言いたかったことと全然違うことを言ってしまいました。研究室を移動した理由が周りの人のせいに聞こえるような言い方をしてしまいました。
本当は最初に所属した研究室の仲間との仲良くなれ人間関係は良好でした。本当の理由としては最初の研究室よりも、もっと研究に力を入れている、遅くまでみんなが研究しているような研究室を望んでいたので研究室を変えたという内容でした。しかし、面接ではそのような説明をすべて飛ばして、周りの人と合わなかったと言ってしまいました。面接官の方が「ん?」というリアクションを取った際にやらかしたと思いましたが、時すでに遅しでした。その時なぜもう一言フォローの言葉を入れられなかったのか、自分が不思議でした。第一希望の面接で緊張していたのだと思います。
ーそうだったのですね。研究と就活の両立はできていましたか?
私の所属する研究室の教授は割と寛容な方だったので、「就活で忙しいんやったらやらんでもええよ」と言っていただき、比較的就活に時間を割くことができました。就活で忙しい時期は集中して就活を頑張り、一段落してから研究に移ったという流れでした。
ー内定先企業に入社を決めた決め手は何ですか?
自分がやりたいシミュレーションシステムの事業を行っており、関西の大手企業と自分の考えていた軸に一番近かったのが内定先でした。内定先はCADのシミュレーションシステムも自社で開発しているので自分が理想としていたものと合致していたことが決め手です。
ー内定先企業から内定をもらえたと理由はどんなところだと思いますか?
いい感じに力が抜けていたのかなと思います。内定先企業を受ける前に第一希望の企業で大きな失敗を経験し、就活的にも滑り止めとして人材派遣の企業から内定をいただいていたので、精神的に安定して選考を進められたのだと思います。第一希望の企業を受けていた時はずっと焦っている自分がおり、それに比べ、内定先を受けた時は自然体の自分を見せることができたいたことが内定に繋がったのではないかと思います。
ー最後にTECH OFFERを使っている就活を控える後輩にアドバイスをお願いします。
まずは、色んな企業をみて欲しいです。TECH OFFERは自分の知らなったような企業からたくさんオファーをいただけるので、それをきっかけに色々な企業を調べて比較することをお勧めします。
私が就活を通して感じた一番大切なことは自分の軸はしっかりと考えて決めておくことです。私は就活を進めるにつれて軸があっちに行ったりこっちに行ったりブレてしまいました。私は軸がブレたことで内定獲得が遅くなり、あまり志望度の高くない企業を滑り止めとして受けることになりました。就活を始めた初期に自分の軸はとことん掘り下げてしっかりとしたものをつくっておくのが良いと思おいます。