何度も出し続けた海外勤務願い
あなたは、子どものころ卒業文集に書いた「将来の夢」を覚えているだろうか。スポーツ選手、プログラマー、歌手、警察官、パティシエ、今なら人気はYouTuberあたりか。時代によっても変わってくるだろうが、いずれにせよそれをそのまま叶えている人は幸運かもしれない。
「世界を股にかけるエンジニアになりたい」。
ポンプの設計者として働く井村はその一人だ。子どもの頃から機械が好きで「世界を飛び回っているエンジニア」の友達の父親に憧れ、中学の卒業文集にそう書いた。その後、高専の機械工学専攻まで修了しトリシマに入社。大型ポンプの設計に配属され、入社9年目からの3年間は海外駐在を経験した。帰任後はグループリーダーに昇進、今も数カ月に一度は海外の現場へ飛ぶ。
といっても、最初から順風満帆だったわけではない。入社数年目から海外勤務願いを出し続けたが、声はかからなかった。会社は本格的に海外進出を始めた頃で案件は多かったが、設計の井村は本社でひたすら図面を描き続けた。急な受注拡大に体制が追いつかず、生産も設計も混乱していた時代だ。
「ものすごくしんどかった。でもあの頃の頑張りが今の血となり肉となっていると思います」。
2010年には初めての海外出張で上海へ。世界への第一歩だと思うと胸が躍った。自分なりに仕事をして帰ってきたつもりだったがレポートを提出すると、部長から「何しに行ったんだ!」と一喝された。ポンプ振動の原因調査に行ったのだが肝心なデータが取れておらず、もう一度行かされた。この一件は、「現地調査の難しさと大切さを教えてもらいました」と今でも井村の心に強く残っているが、当時の部長もそのことをよく覚えている。
「基本穏やかな子ですが、あのときはなにくそって顔してましたね。骨のあるやつだと思いました。次は大丈夫だって表情を見たら分かりました。実際、二回目は立派な仕事をして帰ってきましたよ」。
トリシマでは、自ら「海外に出たい」と手を上げる若者は積極的に送り出す。ただ順番やタイミングがあり、技術も意欲もある井村のことは送り出す準備はできていた。いよいよそのときが回ってきたのは、「もう自分は日本で頑張ろう」と気持ちを切り換え、異動願いも出さなくなった2015年。Torishima Service Solutions FZCO、社内ではTSSと呼ばれるアラブ首長国連邦(UAE)のサービス工場への異動が決まった。
「世界を股にかけるエンジニアになりたい」。
ポンプの設計者として働く井村はその一人だ。子どもの頃から機械が好きで「世界を飛び回っているエンジニア」の友達の父親に憧れ、中学の卒業文集にそう書いた。その後、高専の機械工学専攻まで修了しトリシマに入社。大型ポンプの設計に配属され、入社9年目からの3年間は海外駐在を経験した。帰任後はグループリーダーに昇進、今も数カ月に一度は海外の現場へ飛ぶ。
といっても、最初から順風満帆だったわけではない。入社数年目から海外勤務願いを出し続けたが、声はかからなかった。会社は本格的に海外進出を始めた頃で案件は多かったが、設計の井村は本社でひたすら図面を描き続けた。急な受注拡大に体制が追いつかず、生産も設計も混乱していた時代だ。
「ものすごくしんどかった。でもあの頃の頑張りが今の血となり肉となっていると思います」。
2010年には初めての海外出張で上海へ。世界への第一歩だと思うと胸が躍った。自分なりに仕事をして帰ってきたつもりだったがレポートを提出すると、部長から「何しに行ったんだ!」と一喝された。ポンプ振動の原因調査に行ったのだが肝心なデータが取れておらず、もう一度行かされた。この一件は、「現地調査の難しさと大切さを教えてもらいました」と今でも井村の心に強く残っているが、当時の部長もそのことをよく覚えている。
「基本穏やかな子ですが、あのときはなにくそって顔してましたね。骨のあるやつだと思いました。次は大丈夫だって表情を見たら分かりました。実際、二回目は立派な仕事をして帰ってきましたよ」。
トリシマでは、自ら「海外に出たい」と手を上げる若者は積極的に送り出す。ただ順番やタイミングがあり、技術も意欲もある井村のことは送り出す準備はできていた。いよいよそのときが回ってきたのは、「もう自分は日本で頑張ろう」と気持ちを切り換え、異動願いも出さなくなった2015年。Torishima Service Solutions FZCO、社内ではTSSと呼ばれるアラブ首長国連邦(UAE)のサービス工場への異動が決まった。